意 味: 今日縫えば一針で済むほころびも、放っておくと次第に大きくなって十針も縫わねばならなくなる。何事も処置が遅れると、あとで苦労することのたとえ. =明日に持ち越さず、今日解決しよう!!= 関節リウマチ になりました。生きづらさ上手くいなしてゆる~く生きていく。
2011年3月19日土曜日
少しずつ復旧です。
Docomoも架設アンテナ復旧と同時に移動基地局を持ち込んだと情報を得ていました。
父の名前の表示がされた携帯♪♪♪♪♪着信がなった。
慌てて取ると母の声です(;_;)「本当に生きててよかったぁ~」と・・・。
何がなんだかと一生懸命話す母。
私も「薬はもらったの?寒くないかい?」お互いに言い合う始末で会話が成り立たない。
ただただ、電話の向こうに母の声。
母の携帯は故障なのか?電話が出来ないとの事。
「逃げだまま、着たきりすずめだがぁ」その言葉だけが耳に残る。
早く物資を届けたい。
早く大槌に行きたい。
とにかく安否は取れた。
私は次の行動を考えなければならない。
どうやって物資供給に参加できるか?
そして、こんなホムペを発見した。
http://d.hatena.ne.jp/k_ma_calon/20110311/1299837162#c
とても参考になりました。
そして、その後は徐々に個人宛に送付するにはどうしたら良いか?
各運送便、ゆうパックなどなど被災地への救援物資の送付方法を模索中である。
家族も大事、だが被災地復旧も大事。
義援金は被災地のみなさんのために。
そして、家族には至急な物資を。
いま、まさに奮闘中です。
ブログをご覧のみなさまへも、日々の情報はお伝えしていきます。
少なからず、被災地が前進していることをお伝えしていきます。
余談ですが、私のメロディーコールは「365歩のマーチ」
メロディーコールが開始された時に、両親が自分宛にかけた電話が間違いではないよう、分かりやすいようにしたものです。
きっと、私に電話をしながらこのコール音を聞いてくれたことでしょう。
前を向いて、今をがんばって欲しいと願うばかりです。
2011年3月18日金曜日
物資を届けようかとも思ったが
3/18 13時頃、妹からau移動基地局が大槌高校に入ったと自分の携帯から連絡ありました。
と言うことは、携帯の充電でき、電波受信できればメールだけでも受け取ってもらえる。
少し繋がりが持てた。
物資の供給について。
本当なら直ぐにでも駆けつけたい気持ちを押さえる。ガソリンが足りないのは14日の次点で、叔父が言っていた。
地元の動ける車が、外部からの車で燃料取られると。
確かに駆けつけたいが、それが本当の助けになるのか、自分の出来る事で助ける方法をよく考えた。
阪神大震災の時も「何しに来ている?ボランティア」や「救援物資の重複」ひどいのは「現代人の不要品ゴミ捨て場」そんな事があった記憶がある。
だから物資は集めている所にまとめた方が良い。
指定をされたものを、そして個人で送付可能になったら必要に応じれば良いと思う。
確かに声聞き、足りない物を聞けば直ぐにでも持って行きたいが、ニュースで承知の通り、現地周辺には車が乗り捨て状態に。
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道徳の無い行動が、次の道徳の無い行動に負の連鎖。
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既に明日19日出発で、燃料貨物が神奈川から青森経由で盛岡に入る。
配給は月曜か火曜か…。
更に福島の原発も大変な事に、私たち関東に居る人にすれば帰省する際に通る耳慣れた土地名。
津波被災地も原発被災地も並行して前に向かってほしいものです。
2011年3月16日水曜日
被災地より電話あり
天野さん、中原さん、大泉さん
そしてたくさんのご心配のお電話、メールをくださった方々、本当に本当にありがとうございます。
先ほど2011/3/16 11:20に大槌町被災地 大槌高校の避難場所から弟から無事を知らせる連絡がありました。
じいちゃん、ばあちゃん無事に避難してる。
現在は大澤の家に避難させていただいているとの事。
怪我も無く一族生存していると。
なにはともあれ、ここにおいて無事のご連絡が出来たこと幸せに思います。
ただ不幸にも被災された方々を思うと手をたたいて喜べないのが実情です。
この大勢の中で、小さな小さな急死に一生を手に入れられたのだと思います。
弟が言うには物資が不足(洋服、ガソリン、電池)が欲しいと言ってました。
送れるようになったらお願いしたいとのことでした。
だからと言って、今は家族の為だけに現地に行くのは被災地を窮地に追い込むことになります。
ニュースでもガソリン不足を報道してます。
原発の危機にも拍車をかけてしまい、せっかく被災者の車が動いても物資調達に被災者の車が使えない状態になってきていると。
ご存知でしたでしょうか?孤立の小さな避難場所は自ら取りに行かなければなりません。
どちらかといえば高齢者の町です。若者の多くは都会に出てきているはずです。
その各々が被災地に向けて集まる行動をとったらどうなることでしょう。
行ったら何とかなるだろうではみんなを救えない。
1分1秒でも物資が早く届くよう、どうか現地へ行かれるのはもう少し我慢して欲しいと思います。
私だって、弟から電話口で「欲しい!!」と言われれば、困っているだろうと満載の荷物を持って行きたい。
でも、それは家族を助けられるかも知れないが、誰かを困らせてしまうことになる。
現地ではガス欠で乗り捨ての車が多数あるそうです。
手に持てるだけの荷物持って車を置いて行くのでしょう。
物騒なことにその荷物が目当てかどうかわかりませんが、車が危ないということだそうです。
とにかく今は行政、自衛隊、海外支援、そして被災地のみなさんの力に頼るしか無いと思います。自分ひとりの力をどう使うか。
考えて欲しいものです。
一人ぼっちになるかと
三日三晩、仮眠もそこそこに情報を集め安否を模索しておりました。
そのせいで折角お知らせいただいていたのに、気がつきませんで大変申し訳ありません。
皆さんのお気遣いに思わず溜めていたものを吐き出すかのように、声を上げて泣いてしまいました。
近況を申し上げます。
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越田鮮魚店夫婦
個人名により中略
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いまだ情報掴めず。
安渡小学校が有力な避難経路と思われます。今までも「安渡小学校に上がった」と話しておりましたので。(二渡神社には名簿載っていませんでしたね)
まだ、安渡小学校避難名簿が出ておりません。
■妹と子ども(個人名中略) 大槌高校に名前を発見。
大ヶ口はあとワンブロックというところまで津波が来たようです。
幸い津波の被害は無かったようで自宅避難をしていたのでしょう。
しばらく名簿に上がりませんでした。(今日やっと)
物資の調達は大高で出来たようなのでその際に名簿に記入したものと思われます。
妹のご主人は勤め先の釜石で避難できていたようです。
釜石の知人を探している時にラッキーにも見つけることができました。
■弟家族(個人名により中略)
三人は一時期大槌高校の名簿欄にありました。
最初は別々だったようですが、恐らく佐々木家に身を寄せたので名簿から無くなったのでは?
でも、しっかり名前三人ありましたから大丈夫と思います。
自宅避難者は名簿になっておりません。
そのためか大澤の叔父と叔母も名簿にありません。
無事を案じてます。
母は、ご承知のとおり足が悪いことをいつも自分自身念頭においてました。
だからこそ人の重荷になることを避け、我先に行動しなければという考えを常に持っておりましたが、逆に誰をもひもじい思いをさせてはならないという思いで家に戻りありったけの物資を積み込んでいたのではないか・・・。
そう思うと最悪の情景を思い浮かべてしまいます。
父もそんな母にはっぱを掛けられながらも母を気遣いきっと一緒に行動していたはずです。
地震から津波到達まで30分も無かった。店から家に戻りどのくらい家にいたのでしょう?
その経路を何度も何度も自分の中で頭で描く。
避難でごった返す中、車で上まで上がれたのだろうか?
弟も冷蔵庫で働いていて、身重の弥美さんを考えどんな経路をたどったのだろう・・・。
今日までどこをどう探しても誰も見つからない。
ずっと会社休ませてもらってリアルタイム、ツイッター、安否情報などを片っ端から探した。
親戚、友人からの励ましの電話、メールの対応。
主人も休んで家の事、ご飯の面倒を見てくれた。「一人にしたらあなた何も食べずにやるでしょ~」と。
食べる気力も無く、動く事も無くパソコンの前に居た私にせっせと食事を出してくれた。
だから母の安否を私に託した。(主人も両石なので)
主人の母13日深夜に安否確認が出来ました。無事です。
映像や空撮を見て愕然とした。
あまりの被害に「誰もいなくなっちゃった。一人ぼっちなの・・・」と気が遠くなった。
だって、地震が来たらいつも直ぐに電話で「大丈夫がぁ?!なんてもねぇが。」って来るはずなのに。子どもの前で大泣きした。
まだ不明者は多い。1万5千ほどの人口と思っていた。
避難者の発表は5千人程度。
この誤差はナンなんだろう?
町長が津波に呑まれたと報道があり、取材もいち早く入ったので皆さんも大槌を早く目にすることが出来たとおもいます。
ただ、岸壁には到底行けずバイパス沿い、マストあたり大槌病院周辺でしたね。
アップした写真は、被災者が二渡神社から安渡を撮影した写真です。
左側が大安タクシーの建物・・・後はすべてきれいさっぱり呑みこんでしまった。
壊滅です。
秋田の旅行者の不明報道がありました。
その旅行者のビデオ撮影がニュースでながれた。
店の近くを通って、恐らく市場などを見学されたのでしょうか?その映像が流れていました。「あっそこにお店が?!」と。
それが私が最後に見た“越田鮮魚店”でした。
山田の叔父(母の弟)が明日、大槌を尋ねてくれるそうです。
明日、あさってには安渡小学校、お寺なども名簿があがると思われます。
泣いてばかりはいられません。明日も検索に走ります。
生きていてくれたならまた、お店やるっていうかな?
私には見えます。
子どもの頃遊んだ公園、盆踊りをした広場、郵便局。
2011年3月14日月曜日
東日本大震災
でも、今は悠長なことを言ってる場合ではない。
どなたか情報ありましたらご連絡コメントください。
岩手県大槌町安渡です。
恐らく、安渡小学校かニワタリ神社あたりが避難場所ではないかと思うのですが。
ないしは妹宅の大ヶ口へ非難しているか?
■越田鮮魚店■
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個人名記載により
削除しました。
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釜石、大槌地区は電波塔が崩落の為通信回路が遮断されているとの情報。
ツイッター情報では大槌町情報は、安渡小学校800人・大槌高校に700人などあわせて2800人 2011/3/14 10:00頃の情報。
大槌町(安渡含)で人口1万5千人と聞いていたが・・・。吉里吉里、波板などの避難数が分からないのでどのくらいが不明数なのか?
主人の母は親戚筋より安否連絡があり、一緒に避難しているとのこと。親族もほとんどが一緒。少し安心。
他は、電話などの連絡が来ているのに大槌からの電話発信で連絡があったとの情報が無い。
どういうことなのか?なにがどうなっているのか?
二日間寝ることも出来ずTV、パソコン、ツイッター、2チャンネルと取れる情報は片っ端から自力最大限で情報収集。
災害ダイヤル、伝言板・・・。
ご心配を頂いた友人の方々、ご迷惑をかけてしまった会社の方々本当にご心配ご迷惑をおかけします。生きていることを信じて探し続けます。
飛んで行きたい気持ちをぐっとこらえて、私は今ここに居る。
中継を見ては、泣いてしまう。何も無くなった。
でも、目標物を見れば薄れることなく町並みが見えてくる。
だから、悲しくなるのかもしれない。
子どもの頃に遊んだ公園、盆踊りをした広場、実家、そして鮮魚店。
ここでいつも越田鮮魚店ご愛顧いただいてる皆様へ。
この度、東日本大震災により街は壊滅してしまいました。
もちろん、海岸岸壁沿いにあった鮮魚点は恐らくどの家よりも早く波に呑みこまれてしまったことでしょう。
街が復興しても皆様のお名前もご住所も全て皆無となってしまっております。
ご連絡する手立てはなにもありません。
安否は私がこのブログで皆様にお知らせすることになるかと思います。
長い間お引き立ていただいた皆様には申し訳ございませんがご理解くださいますようお願い申しあげます。
2011年3月12日土曜日
いまだ消息掴めず・・・
朝のニュースを見て愕然とした。
深夜、主人と交代でTV情報、ネット、携帯などなどさまざまに情報を集めた。
しかし、夜は空撮しても見えないせいか炎上が画面に映し出される。
そして、津波で寄せられた映像の繰り返し・・・。
朝方から友人、親戚等から次々に電話が入る。
固定電話も携帯も、PCメールに携帯メール・・・誰もが全て情報を欲しがっている。
死亡者の数が発表される、はたして無事に避難したかというより「生きているの?」と自分に問う。
ツイッターの情報から、地域エリアは携帯が不通になっているとのこと。
掲載者は区外を越えてツイートしてくれた、で津波の上がり地を少し把握できた。
それでも情報は十分ではない。
良く行くスーパーの写真が掲載されていた。
「何てこったぁ!!」スーパーの平駐車場が瓦礫で埋まっている。
それもスーパーの2階部分までギッシリ。
目の当たりにした本当の地域の惨劇・・・涙が出た。
気持ちがあっても、時間があっても、お金があってもなんにもならないのだと。
助けることすら出来ない。
無事でいることを祈るばかり。
大地震・津波
恐らく我が実家も津波に呑み込まれている可能性は100%
防波堤を超える10mでは、市場に近い(海から1キロ範囲)我が実家は浸水、衝撃が強ければ倒壊は免れないだろうと…。
未だ通信の制限により誰とも安否確認は取れておらずまさしく不安な夜。
災害伝言板、災害ダイヤル、メールも携帯やパソコン、ショートメール。
全て発信出来ているにも関わらず連絡が無いのは受け取れていないからか?
今、どこでどうしているのか…。。。
避難して不自由はないか。
自宅は、物の落下はあったものの損害と思われる物は無かった。
会社は早退した。
子ども達は集団下校後、友人宅が預かっていてくれた。とても有り難がった。
自宅に戻ると、前に説明していた災害時用リュックや備蓄品を子ども達が率先して用意しだした。ヘッドライトを首に装着。
風呂に水を貯めて万事に備え出した!!たくましい!!
私は実家の親兄弟に連絡が取れず、オロオロするばかり(@_@)
私が帰宅までの間、なんと犬をケージに入れて友人宅へ連れ出していてくれた。
その行動に感動しながらも、災害時のペットの避難方法を子ども達に説明した。その事はまさかに備えていなかった事に反省。
今、そしてこれから先、眠れそうにない。
早く朝になってほしい。
もっと情報がほしい。
早く誰からか連絡がほしい。
