とうとう、取り壊しになりました。
この写真は8月の帰省の時、お墓参りに高台の墓地に上がった時、撮りました。
本当にポツンと鉄骨で残っていました。
母メール:その1
【家が取り壊しになり敢然に心の寂しさがあり階段が津波の記念になりました】
取り壊し前日の写メです。
両親はどんな思いで見ていたのでしょう。
金沢の山奥に避難しているため、この自宅に来るのに20~30分もかかること、また満潮時には冠水があり、自宅近くまで行くことができなかったと話していました。
母メール:その2
【残骸朝日に照らされ2人で眺め寂しくなみだになりました自分が居なくなったような気分】まったく句読点の無い文面・・・。
朝、市場に出るのに立ち寄ったのでしょう(;´д`;)とうとう、取り壊されてしまいました(;_;)
母から写メで送られてきました。妹からも写メが。
すっかり跡形もなくなってしまいました。
いろんな思い出。
そりゃ、小さいころのことはもちろん。
出産の里帰りのことも思い出す。
じいちゃんが子ども達をたらい風呂に入れてくれたっけ・・・。
バイク仲間が岩手まで遊びに来てくれて、ベランダでBBQしたっけなぁ~
ベランダに登る外階段の再利用が決まりました。
新しく入所する仮設加工所に取り付けてもらえる事になりました。
半分に切断して、2箇所に取り付けるのだそうです。
取り付けました。
こんな感じです。
しかし、あの津波の中にこの階段はあったのです。
どっぷりと波にのまれていたのです。 でも、何も語ることは無く、物言わず、また父と母を助けるためにここに取り付けられることになり・・・。
私も何度となく上り下りした階段がここに残る。
辛くもあるが、うれしくもある・・・とても複雑な気持ちφ(.. )
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