季節の変わり目に風邪をひいてしまった。そういえば会社の誰かがひいていた。
鼻はグジュグジュ、喉はガラガラ・・・やられた。今日は休んだ。
さて、少し元気になったからセナの映画について記述してみようかな。
私が上京してF1レースをTVで見始めたのは、20歳前半からだった。
土曜日が予選、日曜が本戦だったかな。
日曜夜F1のTVがつきっぱなしでいつも「あ~明日から仕事かぁ」と思いながら結果まで見れずにいつも子守唄代わりにエンジン音を聞いていた。
そのころF1にオンボードカメラが装備された。アナログカメラ・・・どこかを通る度に画像や音声が途切れる。それでも、オンボードカメラが装備されたことにより、体感はドライバーに近づいた。
吸い込まれるカーブに自分の足に力が入る。架空ブレーキ。そうそうこの感覚。
今のようなシフトチェンジではなく、サイドシフトう~ん懐かしいィ
一瞬にしてその当時に住んでいたアパートが頭に浮かんでくる。
映画を見ながら、違う自分があの時こうすれば良かった、言えばよかった、失敗したなんてことを考えていた。
TVで見ていたときはピットの映像だけ、音声は聞こえない。
映画ではその音声が聞こえてきた、そのころから自分の振り返りはなくなっていた。
駄々をこねるようなセナに大人の計算高い戦略のプロスト。
対照的な二人のドライバーの関係に引き込まれていた。
苦しい表情ばかりのセナ。
自分の主張、思いが通らないもどかしさばかりが映し出される。
鈴鹿といえばセナが勝って当たり前と、その当時は思っていた。
その中にもいろんなことが詰まっていたなんて計り知れなかった。
映画を観ることにより、セナの衝撃シーンも見ることになると思ってはいたが、今見ても死亡してしまうほどの事故には到底見えなかった。
確かに、あのころはF1に事故や接触がレースごとにあったような記憶がある。
他人の不幸は・・・クラッシュあってのF1と思っていたこともあった。
しかし、運営する側ドライバーにしても事故のないレースを求めていることを知り自分を恥じた。
映画でも言っていたが、セナの事故以来死亡事故は起きていない。
それは、皆の努力の結果と今は理解できる。
ずーっと胸が詰まる思いで観ていた。
「セナはこんな重圧で楽しい人生だったの?」と思えるほど辛い立場、状況、思いばかりがクローズアップされた内容だった。
しかし、ホッとしたのはエンディングでセナの笑顔ではしゃぐ姿が見れたこと。
そうだよね。苦しい、辛いだけが一生じゃなかったよね。となんとなく感じ取れたから・・・。
パッとライトがついた。
いつもなら「あ~あ」と背伸びしたり、周りを見渡したりとするのだけど、消えた画面をみつめたままため息もでず、つばをごくりと飲んで。
“今、何かを言葉にはしたくない”という心境でやっとの思いで車まで足を運んだ。
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