今日は、3.11の大震災から49日になるという。
1週間、2週間~1ヶ月と毎日「あれから〇日・・・」と思っていたが、49日はツイッターで知る事になった。
四十九日とは来世の行き先が決まるもっとも重要な日であるという。亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
最近、現地に行った時の事の小さな事が思い出されるようになってきた。ふと思い出す。「そういえば・・・こうなってた」って。
私は自宅の一つの瓦礫も動かす事が出来なかった。
どかそうと思い持ち上げてみた。足で押してみたりもした。
水を含んだ木材、幾重にも重なり合いどかそうにも動かない。
網は木材に絡みつき、ガードレールのパイプ・・・こんない重いんだって思った事。
今にも崩れ落ちそうな屋根柱が引っかかっていた。
辺り一面砂浜だったように思えた。
今考えると、従来のコンクリート地面からその砂は30~40cmはあった。
その砂の上には魚がいた。何匹も転がっていた。
漫画に描かれるかのような弓折にのままの形状。
3週間目で被災地に訪れたにも関わらず、現地の寒さのせいか腐敗もしていなかった。
そうだ、安渡は潮の匂いはしたが腐敗臭は無かった。
大きいソファーほどのコンクリートが直ぐ脇に流れ着いていた。
どう考えても防波堤の一部であった。
防波堤から実家までは歩いて10分はかかる。そのコンクリートが流れ着くほどの威力。
橋に車、瓦礫が引っかかっていた。
大槌川にかかっていた線路(鉄橋)は支柱を残して全て流された。
赤浜に通じる道の線路の支柱が倒れていた?!
見た事の鮮明さが出てきた。一個一個目に焼きついた物が今になってはっきりと見えてくるのはナゼだろう?
いまだ見つからない義兄の妹の夢を見た。
「ゴメン、ゴメン心配かげだねぇ。」とひょっこり姿を現したのだ。
良かったという気持ちと、心配して心配して・・・のギャップの怒りで「心配してだのにどごにいだったのよぉ」と。
「ちょっと遠ぐまで避難しててさぁ~」と言う。
その瞬間、辛そうな苦しそうな形相で水流のように流れて消え去る寸前。。。ハッと目が覚めた。
その意味がなんなのか?
自分の心がそうしているのか?
今は共感してくれる主人が居る。目の当たりで見た人同士にしか話せないことがある。
なぜなら画面は四角小さな箱。
今、目の前にある電柱が折れ曲がり倒れている事が想像できますか?
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