2011年9月30日金曜日

まもなく10月

もうすぐ10月になる。もう秋になった。
衣替えもした。加湿器を作動させなくちゃ。
インフルエンザの予防接種の予約取らないと・・・。

秋になると行事がいっぱいですね。
お祭り、神輿、運動会、ハロウィン・・・毎週毎週土日は大忙しです。
ぜ~んぶ子ども達のお付き合いですがね(笑)

先週は実家のお祭りがありました。
行きたいのもやまやま、現地に行けない理由もありツイッターで臨場感を味わっていました。
ツイートしていただいた皆様「アリガトー!!」

今は、子ども会のハロウィンに向けやっと資料作りが終わった。
明日は早くから子ども達と打合せをします・・・って、何が?ですよね。
うちのマンションはママさん達の協力の下、マンションの子ども会を結成させているのです。

七夕、夏休みはラジオ体操、ハロウィン、クリスマス、節分と行事は盛りだくさんなんです。
■七夕
http://hitohari-tohari.blogspot.com/2011/06/blog-post_25.html
■節分
http://hitohari-tohari.blogspot.com/2011/02/blog-post.html
前のブログですがご覧くださいな。

そして、今年のハロウィンはもちろんお菓子をもらいにマンション内を歩きます。
いつもなら、お化けや妖怪などの紙芝居やペープサートをするのですが、今年は震災もあり「津波てんでんこ」を題材にペープサートをしてみようという事になりました。

いろいろと題材にちなんだ書籍を読んだりしたものの、時代背景が古い、また情景(亡くなった事)などの表現がリアルすぎてかなり悩みました。

そこで、私の実父母の当日の非難の様子を「てんでんこ」に表してみました。
子ども達にもお友達のおじいちゃん、おばあちゃんの話なら身近に感じる事ができるだろうと役員のママさんたちもうなずき、早速執筆?!なんて程の事ではありませんが読み上げの文章を考えてみました。

さて、明日が初の打合せです。
どうなりますかね。

おっとっと!まもなく10月になりますよ~。

2011年9月23日金曜日

台風一過

今回、台風15号は日本列島を横断で多くの被害をもたらしました。
ニュースでも3.11震災を思わせるような・・・なんて事を話しているが避難指示も速く出たり、それだけ危機意識が高まった事を感じます。

台風一過?! 私は子どもの頃「台風一家」と思っていました。ツイッター上でも同じ事を思っていた方がいたようで(笑)
「台風ができると次々子どもの台風ができるから台風一家っていうんだぁ」と思っていたわけですが・・・。

被害はTVでは見ていたものの、マンション前の工事現場ではこんな事になっていました。
一枚一枚のトタン屋根は8畳くらいはあるでしょうかね。
下の車と比較してもかなり大きい事が分かります。
飛散していたら・・・と思うと コワイ、コワイ。
当日、こんな日ほど仕事が重なるもので・・・子どものお迎えは引き取りをお願いしていたお宅に頼んでいたので、まずは片付けるべく仕事をこなしてました。
徐々に雨も風も強くなってきていました。とうとう暴風圏内に入り、外に出る事が危険と判断。
定時を過ぎたがしばらく会社にとどまる事にしました。
主人が早めの帰宅指示が出ていたので子どもについてはまずは大丈夫と!!

遅めの帰宅に近所に住む会社の人を車で自宅まで送り、帰ってきたら工事現場の人たちが道路でなんやら上を見上げて話している?ナンダロウ?
暗闇で見えなかったが翌朝出てみてびっくりしたのがこの写真の風景でした。

さてさて、今日は屋根を直しているようです。
震災の時もそうですが、復旧の早さ、日本の技術はすごいと感じます。



そうそう、暴風雨で怖いのは壊れた傘です。
どうして壊れた傘をそのまま捨ててしまう人がいるのでしょうか?
帰宅途中でも、壊れた傘が車道に飛ばされ向ってきます。「ぎょえ~!!」と避けたり、スピードを落としたり。
事故の起因になりかねません。
台風でなくても、少々風の強い時などには良くあることですが、物を大事にしないということや自分で最後まで後始末を出来ないという悲しい現象である事が分かります。

確かに子ども達は、毎度壊れた傘を持ち帰り「またかよっ(怒)」って私も思うけど、持ち帰るってだけ偉いねぇとつくづく思う。
昨日は、そんな話を子ども達と話しました。
「幸せや楽しさ、おいしさは人にいくらでも分けてあげていいと思うよ。でも、辛さや悲しみ、嫌な事は人に分けることではない!。それは押し付けと言うんだよ。嫌な事ほど自分ひとりでさっさと片付けちゃえばあっという間に終わるさ。」
なんてな事を言いながら「果たして・・・自分はどうかしら?」と回顧してみたりして。

2011年9月15日木曜日

サンマが届いたよ

少しずつではあるが港が賑わいはじめています。まだまだ復興とは言えませんがとてもうれしい便りではあります。
釜石港でもサンマが上がったと実家からサンマとイカが送られてきましたよ。

「B級サンマ送ったからなぁ。」といつも父は言う。
なんとも馬鹿でかいサンマがくるのです(笑)いつも尻尾が魚焼き器からはみ出してしまうんです。
でも、半分に切って焼くのはなんとも避けたい。やっぱり一本でお皿にのせたいですよね。

A級とは大きさの揃ったサンマのことを言うらしいのですが、そのためには中振りで揃える事になるわけなんです。どちらがA級でどちらがB級なのか・・・って感じですよね。

早速、その日は塩焼きにして、大根おろしをたくさん置いて、藤勇の醤油でいただく。三陸のサンマはこれでなくちゃね。

昨日はイカの天ぷら!!金沢のピーマンも入っていたのでそれも天ぷらに揚げ、芋天が食べたいと騒いでいた主人のリクエストを取り入れてさつまいもの天ぷら、いつの間にか超山盛りの天ぷらになってしまった。本当ならナスもするはずだったのですがあれよあれよと言う間に増えてしまったのであえなく断念。
実際はこの写真の倍以上の量が出来てまして(^^;)(;^^)

そして「今日のご飯は?」と聞いてきたので、本日もサンマといきますかぁ!!と「え~、またサンマぁ。」と子どもが言いやがった( ̄▽ ̄;)「なにお~(怒)卍」
と、そこで本日はサンマのピカタにしてみました。
ピリッと辛いチリソースで異国の風合いに!!

ツイッターで写メ入れたら、だいぶフォロワーさんのお腹にググーッと来たようです(笑)おいしくいただきましたよ~。
ごちそうさまでした。

2011年9月12日月曜日

友達

先日、安渡の友人から電話があった。
「メール打づよりもさぁ、しゃべったほうが早えべ!!」

震災当初メールはしていたが日が経つにつれメールがしづらくなった。それは、私個人の感情だけの問題だったのだが。
TVの被災地からのメッセージに友人が映ったのを見て、生存している事が分かり本当にうれしくホッとした。その後、なんどかメールをするも「よかったね。」「がんばって!」は言えない。すると、どんどん書き込みする言葉が無くなってしまうのです。
何を書けばよい、応援?!そんな無責任なことは書けない。

先日の盆帰省から戻り「今年は会うことも出来なかったね。」ほんの数行のメールを送った。なんて、薄情なんだろうと自分自身が情けなくなってしまった。
でも、本当に掛ける言葉が見つからないのです。

その数日後、電話が来たのです。
それはいつもの明るい友人の声でした。
「元気だがら心配すんなぁ~。」その一言がどれだけ自分の薄情さを払ってくれた事か・・・。「ごめんなぁ、何も出来なくて(;_;)」と言うことしか出来なかった。
それから友人の家族の避難状況を聞いたり、同級生の生存を聞いたり・・・。
看護士をしている友人は、病院で私の家族に会った話などなどたくさん語り掛けてくれた。

お正月には家族の近況を知らせ合う年賀状、お盆には盆踊りで年一度会い、年を重ねた話。太ったとか痩せたとか、目が悪くなり老眼だよと笑ったり。
あと何年したらまたそんな時間がつくれるのだろう・・・。
会えば高校生の時と変わらぬ時間。もう20年以上も前なのに、いまだ変わらぬ友人との会話。
『何十年かかるか分からないけど、安渡が大槌が落ち着いたら同窓会やろうね!!』今はまだこの言葉言えないけど、きっとやろうねって心の中で呟いた。

2011年9月3日土曜日

踊ってみました

ずーっと心の中で歌い続けていた“大槌魚場音頭”

「踊りってどうだったかなぁ?」と。
頭の中で何度も何度も回想してみたがなんだかいまいち・・・。
ふと、キッチンで踊ってみたら踊れた!!踊れた!!(笑)
体は覚えているもんですね。

小学校の時、音楽の柳田先生がピアノで録音したあの音源が思い出される。
軽快な曲調で好きだった。お祭りなどで使用されていた音源はなかなか浮かんでこないのはなぜだろう?

そうそう、盆帰省で伝え損ねてました。
金沢にお泊りに行っていた時、日中に太鼓の音がしてきました『金沢鹿子踊り』です。お祭りでは歩きながら踊っている姿しか見たことがなかったのですが、じっくりと鹿子踊りを見させていただきました。
太鼓の音色を聞くだけで心が躍ってしまいました(笑)

こんなの見たことない?!
以前に聞いた事はあったのですが、これが「ハエ取り棒」
運悪く停まったハエは身動きできなくなってしまう訳で・・・。
子どもの頃は、ハエ取りリボンが天井から吊るしてあったなぁ。
大人の計らいで子どもの通常生活に支障が無い高さにしてあるのに、棒を持てば振回しよく絡ませては怒られてたなぁ。

写真には無いが便利グッズと思ったのは、ビリビリショックのハエ取り。
山あいのせいか、ハエよりも蛾が多い。
ハエ取りで叩けば粉にまみれて後始末が大変なのですが、このビリビリショックのラケットでふんわりキャッチでビリビリっとするとあら簡単!!
横浜に帰宅し、この商品を見かけ子どもが欲しがったのは言うまでもありません。でも、却下・・・都会では蛾は少ないですからね。宝の持ち腐れになってしまいます(笑)


8/16 盆帰省

子どもたちの夏休みが終わり、やっと“宿題”から開放されたぁ。
と、思ったらガクッときてドッと疲れた。
なかなかパソコンに向う気になれずに盆の話題が随分と遅れてしまいましたm(_ _)m

こちらが大槌に秋篠宮ご夫妻がおいでになられた時、紀子様にお腹を撫でていただいた家のお嫁ちゃんとすくすくと成長中の甥っ子です(^-^)
震災後は、横浜に呼びこちらで出産をと病院も調べていたのですが、宮古の産婦人科が震災後も可動していたので結局残る事に。母は強しですね!!
無事に産まれて本当に安心しました。

そして、ここが今避難でお借りしている金沢の古民家?!です。
姪っ子はお嫁ちゃんの実家にお泊りで全員集合ではないですが・・・みなさま、皆元気にしております。ご心配お掛けしました。

この後、金沢に別れを告げお世話になった釜石キッチンカーの和っつさんの所へお礼に伺いました。
こちらのマスターは食堂、調理に関係する支援品を呼びかけられていました。我が家は包丁もまな板も流されていましたので、とても助かりました。
一般調理器具とは多少異なります。まな板にしても包丁にしても専用なわけで・・・(・・;)
こちらのマスターより大き目の出刃包丁を分けていただきました。「これで新巻鮭が切れる」と大変父は喜んでいました。
余談ではありますが、昔はお歳暮の新巻鮭の出荷は一本物が主流でした。
なぜなら「我が家にはこんなものが届いたのだ。」と軒先に吊るし見せびらかす?という話を聞いた事がある。
しかし、近頃では大型スーパーが軒並みの出店で、魚屋と言う商店が少なくなり持ち込んで切っていただける状況が無くなってしまっていると・・・。
そんな事もあり、最近は切り身で直ぐ食べられるようにとカットして送る事が多くなったのだそうです。
そんな事もあり“なた”に近い大きな包丁でいつも切り身にしてましたねぇ。だから大きな出刃包丁は何よりもうれしかったのだと思います。
和っつのマスターそして関係協力者の皆様、本当にありがとうございました。
和っつさんで焼き鳥とチリソーセージを買い込み・・・チキンカレーをと思ったのですが、その日義母が夕食にカレーを用意していたので話題のチキンカレーに後ろ髪を引かれながら釜石キッチンカーを後にしました。

そして平田の仮設に戻り、取り付けた備品に不具合が無いかを確認し、夜走りに備えて一休み。
今回はなんとも移動距離、移動時間の多い盆帰省でした。