2011年9月12日月曜日

友達

先日、安渡の友人から電話があった。
「メール打づよりもさぁ、しゃべったほうが早えべ!!」

震災当初メールはしていたが日が経つにつれメールがしづらくなった。それは、私個人の感情だけの問題だったのだが。
TVの被災地からのメッセージに友人が映ったのを見て、生存している事が分かり本当にうれしくホッとした。その後、なんどかメールをするも「よかったね。」「がんばって!」は言えない。すると、どんどん書き込みする言葉が無くなってしまうのです。
何を書けばよい、応援?!そんな無責任なことは書けない。

先日の盆帰省から戻り「今年は会うことも出来なかったね。」ほんの数行のメールを送った。なんて、薄情なんだろうと自分自身が情けなくなってしまった。
でも、本当に掛ける言葉が見つからないのです。

その数日後、電話が来たのです。
それはいつもの明るい友人の声でした。
「元気だがら心配すんなぁ~。」その一言がどれだけ自分の薄情さを払ってくれた事か・・・。「ごめんなぁ、何も出来なくて(;_;)」と言うことしか出来なかった。
それから友人の家族の避難状況を聞いたり、同級生の生存を聞いたり・・・。
看護士をしている友人は、病院で私の家族に会った話などなどたくさん語り掛けてくれた。

お正月には家族の近況を知らせ合う年賀状、お盆には盆踊りで年一度会い、年を重ねた話。太ったとか痩せたとか、目が悪くなり老眼だよと笑ったり。
あと何年したらまたそんな時間がつくれるのだろう・・・。
会えば高校生の時と変わらぬ時間。もう20年以上も前なのに、いまだ変わらぬ友人との会話。
『何十年かかるか分からないけど、安渡が大槌が落ち着いたら同窓会やろうね!!』今はまだこの言葉言えないけど、きっとやろうねって心の中で呟いた。

0 件のコメント:

コメントを投稿