2011年3月31日木曜日

被災地に向かう

今、まさに被災地を目指して車で走ってます。
あと一時間もすれば釜石に着きます。

内陸部は店頭物資はやや少なめなもの、無いに困るようではなくなっていた。

車に満載に横浜から持ってきた自分達は…なんか複雑な心境。

それでも、ニュースやTwitterでは物資不足を投げ掛けている。

まずはこの目で見て判断しよう。
そして本当の声を聞いてこよう。
東北関東大震災から今日で20日。

2011年3月28日月曜日

冷蔵庫が空

段々と連絡が取れるようになり、荷受けが可能となってきた。

この一週間仕事しながら物資調達、仕訳、梱包、発送とバタバタ家の中は荷物だらけ。

仕訳は本当に大変!
一日がかりでやっとの事だった…。

夕べ子どもが「お母さん、冷蔵庫空っぽだねぇ…」と、買付は送るものばかりで一杯になり、我が家の台所事情が入る余地がなかった。
とにかくあるものを調理して食べていた。
とうとう底がついたので、さすがに今日は家の物を買おう!!

被災地は着るものは足りてきているようだ。
逆に貰いすぎても手狭な避難所には置くスペースは無い。それも理解しないといけないと思った。


現地のガソリン事情が少し緩和されてきたようなので今週大槌、釜石へ行くことにした。
念のため携行缶は持参。
勿論、自分達の事は自分達で賄う。

そして、被災地を我が目で確かめに。

2011年3月24日木曜日

ひとつ、ひとつの思い出が

荷物を受け取ったと連絡があった。

何も出来ないでいた自分の気持ちが少し落ち着いた。
「なにかをしてあげられた。」自己満足かも知れないが、足りないかも知れないがそれでもなんとか形になった。

ほっとすると、実家の家の中が思い出される。

みんなで囲んだコタツ、ストーブ・・・と突然よぎる写真や映像で見た被災の状況。
階段を上り二階に上がると、ここにこれがあってあそこにはあれがあって・・・たんすがここにと思うのだが、あんな物もこんな物も流れてしまったのか。
そして、瓦礫の山がまた目の前に浮かぶ。

「家が流されたぁ。なってもかっても流されたぁ。」
そう、今のいままで「家」が流された事しか考えていなかった。
瞬間的にハッとした。
「そうだ。中も外もみんな流されたんだ・・・?!」

思い出と言う全ての物が流されたのだ。
両親が培ってきた財産も、これから産まれてくる子どもの安堵するはずの家までもが全て無くなったのだと・・・。

嫁入り道具の桐の箪笥、着物も無いんだっけ・・・と主人となぜか笑うしかなかった。
それから二人であれこれ無くなった物を話し始めた。
 エアコンも取り付けたのになぁ。
 冷蔵庫は去年買ったべ。
 正月来た時、電気ポット買ったばっかりなのにィ。
 写真もなんにも無ぐなった。
 成人式の写真もな。
 剥製の鷲も流されだが。
 etc.......。

あれこれお互いに無くなった物を思い出し・・・涙がでてきた。
本当に何にも無くなったんだ。

あの言葉を思い出す。
「なってもかっても無ぐなったがぁ~、見る影もねぇ。」

2011年3月21日月曜日

安否の連絡について

本日、佐川急便の営業所止めでなんとか物資が届けられるということで送付することができた。
基本的に受け取りに来れるという条件の下でしたが、幸いにも主人の母が母の弟の所(釜石)に避難をしていることと、車が無事であったこともあり早急に事が運びました。
既に、燃料が届き始めているので荷物が届く頃には車も動かせるようになるであろう。

今回、安否の確認について今後自分たちにも起こりうる災害に向けて考えてみた。

実は、いまだに私の両親は避難者リストに名簿が上がっていない。
恐らく私の把握していない親戚や知人は名簿リストをいまだに検索しているのではないかと。

まず私は、両親の把握していない親戚や知人は災害ダイヤルを利用しているのではないかと代理で無事であることを録音した。
両親、妹夫婦、店舗の171-1-固定電話に。
これを聞いて安心していただくことを願いたい。

災害伝言板に関しては個人が発信しなければまったく情報が得られないことも判明。
通信網が溢れてしまうと繋がることすら出来なかった。
そして、今回は被災地の電波塔の崩落によりまったく意味を成さなかった。
しかし、通信網が落ち着いた時には登録している夫、子どもには連絡が入った。
でも、それもみんなの安否が確認され集結後の事でした。

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被災した場合に公共ないし集合避難した場所で必ず名簿に記入をすること。
※これが一番大事なことです。

自宅避難をする場合でも、公共ないし集合避難場所に行き
「自宅ないし誰さんの自宅に非難している」ということを
記入してこなければならないということです。
***********************

これが今回、実際に我が家族に起こった現状です。
妹のご主人は会社で避難、弟の娘は学校で避難により発見が早かった。
二日目13日には名簿にて確認できました。
弟家族も娘を迎えに行き名簿に載った。

ところが、妹は小学校が近所のため早々に娘を自宅に避難させた。
両親も妹方面で妹宅で自宅避難?・・・。
15日に物資供給の為か大槌高校に行った際に、妹と娘の名が上がった。

16日幸運にも日テレの安否連絡のTVに妹が出たことでやっと両親の健在が確認できた。
長い長い5日間でした。
それから後5日間においても両親の名簿はどこにも上がらない。
これはまずいと思い、前文のとおりに災害ダイヤルに代理で録音を行った次第です。

災害が起こったら?!
・公共避難場所、集合場所に必ず明記する。
・災害ダイヤルに録音を残す。
・災害ダイヤルを確認する。
これが一番早い安否確認と思いました。

2011年3月19日土曜日

少しずつ復旧です。

やっと両親の声が聞けました。

Docomoも架設アンテナ復旧と同時に移動基地局を持ち込んだと情報を得ていました。
父の名前の表示がされた携帯♪♪♪♪♪着信がなった。
慌てて取ると母の声です(;_;)「本当に生きててよかったぁ~」と・・・。

何がなんだかと一生懸命話す母。
私も「薬はもらったの?寒くないかい?」お互いに言い合う始末で会話が成り立たない。
ただただ、電話の向こうに母の声。
母の携帯は故障なのか?電話が出来ないとの事。

「逃げだまま、着たきりすずめだがぁ」その言葉だけが耳に残る。
早く物資を届けたい。
早く大槌に行きたい。

とにかく安否は取れた。
私は次の行動を考えなければならない。
どうやって物資供給に参加できるか?
そして、こんなホムペを発見した。
http://d.hatena.ne.jp/k_ma_calon/20110311/1299837162#c
とても参考になりました。

そして、その後は徐々に個人宛に送付するにはどうしたら良いか?
各運送便、ゆうパックなどなど被災地への救援物資の送付方法を模索中である。

家族も大事、だが被災地復旧も大事。
義援金は被災地のみなさんのために。
そして、家族には至急な物資を。

いま、まさに奮闘中です。
ブログをご覧のみなさまへも、日々の情報はお伝えしていきます。
少なからず、被災地が前進していることをお伝えしていきます。

余談ですが、私のメロディーコールは「365歩のマーチ」
メロディーコールが開始された時に、両親が自分宛にかけた電話が間違いではないよう、分かりやすいようにしたものです。
きっと、私に電話をしながらこのコール音を聞いてくれたことでしょう。
前を向いて、今をがんばって欲しいと願うばかりです。

2011年3月18日金曜日

物資を届けようかとも思ったが

皆様、たくさんの励まし、または義援金を頂き大変恐縮しております。

3/18 13時頃、妹からau移動基地局が大槌高校に入ったと自分の携帯から連絡ありました。
と言うことは、携帯の充電でき、電波受信できればメールだけでも受け取ってもらえる。
少し繋がりが持てた。

物資の供給について。
本当なら直ぐにでも駆けつけたい気持ちを押さえる。ガソリンが足りないのは14日の次点で、叔父が言っていた。

地元の動ける車が、外部からの車で燃料取られると。

確かに駆けつけたいが、それが本当の助けになるのか、自分の出来る事で助ける方法をよく考えた。

阪神大震災の時も「何しに来ている?ボランティア」や「救援物資の重複」ひどいのは「現代人の不要品ゴミ捨て場」そんな事があった記憶がある。

だから物資は集めている所にまとめた方が良い。
指定をされたものを、そして個人で送付可能になったら必要に応じれば良いと思う。

確かに声聞き、足りない物を聞けば直ぐにでも持って行きたいが、ニュースで承知の通り、現地周辺には車が乗り捨て状態に。
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道徳の無い行動が、次の道徳の無い行動に負の連鎖。
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既に明日19日出発で、燃料貨物が神奈川から青森経由で盛岡に入る。
配給は月曜か火曜か…。

更に福島の原発も大変な事に、私たち関東に居る人にすれば帰省する際に通る耳慣れた土地名。

津波被災地も原発被災地も並行して前に向かってほしいものです。

2011年3月16日水曜日

被災地より電話あり

この度は、ブログ内にて安否確認をさせていただき、そして皆様に探していただきご連絡いただきました。

天野さん、中原さん、大泉さん
そしてたくさんのご心配のお電話、メールをくださった方々、本当に本当にありがとうございます。

先ほど2011/3/16 11:20に大槌町被災地 大槌高校の避難場所から弟から無事を知らせる連絡がありました。
じいちゃん、ばあちゃん無事に避難してる。
現在は大澤の家に避難させていただいているとの事。
怪我も無く一族生存していると。

なにはともあれ、ここにおいて無事のご連絡が出来たこと幸せに思います。
ただ不幸にも被災された方々を思うと手をたたいて喜べないのが実情です。
この大勢の中で、小さな小さな急死に一生を手に入れられたのだと思います。

弟が言うには物資が不足(洋服、ガソリン、電池)が欲しいと言ってました。
送れるようになったらお願いしたいとのことでした。

だからと言って、今は家族の為だけに現地に行くのは被災地を窮地に追い込むことになります。
ニュースでもガソリン不足を報道してます。
原発の危機にも拍車をかけてしまい、せっかく被災者の車が動いても物資調達に被災者の車が使えない状態になってきていると。
ご存知でしたでしょうか?孤立の小さな避難場所は自ら取りに行かなければなりません。
どちらかといえば高齢者の町です。若者の多くは都会に出てきているはずです。
その各々が被災地に向けて集まる行動をとったらどうなることでしょう。

行ったら何とかなるだろうではみんなを救えない。
1分1秒でも物資が早く届くよう、どうか現地へ行かれるのはもう少し我慢して欲しいと思います。

私だって、弟から電話口で「欲しい!!」と言われれば、困っているだろうと満載の荷物を持って行きたい。
でも、それは家族を助けられるかも知れないが、誰かを困らせてしまうことになる。

現地ではガス欠で乗り捨ての車が多数あるそうです。
手に持てるだけの荷物持って車を置いて行くのでしょう。
物騒なことにその荷物が目当てかどうかわかりませんが、車が危ないということだそうです。

とにかく今は行政、自衛隊、海外支援、そして被災地のみなさんの力に頼るしか無いと思います。自分ひとりの力をどう使うか。
考えて欲しいものです。

一人ぼっちになるかと

ご連絡いただいた皆様本当にありがとうございます。
三日三晩、仮眠もそこそこに情報を集め安否を模索しておりました。
そのせいで折角お知らせいただいていたのに、気がつきませんで大変申し訳ありません。
皆さんのお気遣いに思わず溜めていたものを吐き出すかのように、声を上げて泣いてしまいました。

近況を申し上げます。
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越田鮮魚店夫婦
個人名により中略
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いまだ情報掴めず。
安渡小学校が有力な避難経路と思われます。今までも「安渡小学校に上がった」と話しておりましたので。(二渡神社には名簿載っていませんでしたね)
まだ、安渡小学校避難名簿が出ておりません。

■妹と子ども(個人名中略) 大槌高校に名前を発見。
大ヶ口はあとワンブロックというところまで津波が来たようです。
幸い津波の被害は無かったようで自宅避難をしていたのでしょう。
しばらく名簿に上がりませんでした。(今日やっと)
物資の調達は大高で出来たようなのでその際に名簿に記入したものと思われます。
妹のご主人は勤め先の釜石で避難できていたようです。
釜石の知人を探している時にラッキーにも見つけることができました。

■弟家族(個人名により中略)
三人は一時期大槌高校の名簿欄にありました。
最初は別々だったようですが、恐らく佐々木家に身を寄せたので名簿から無くなったのでは?
でも、しっかり名前三人ありましたから大丈夫と思います。

自宅避難者は名簿になっておりません。
そのためか大澤の叔父と叔母も名簿にありません。
無事を案じてます。


母は、ご承知のとおり足が悪いことをいつも自分自身念頭においてました。
だからこそ人の重荷になることを避け、我先に行動しなければという考えを常に持っておりましたが、逆に誰をもひもじい思いをさせてはならないという思いで家に戻りありったけの物資を積み込んでいたのではないか・・・。
そう思うと最悪の情景を思い浮かべてしまいます。

父もそんな母にはっぱを掛けられながらも母を気遣いきっと一緒に行動していたはずです。
地震から津波到達まで30分も無かった。店から家に戻りどのくらい家にいたのでしょう?
その経路を何度も何度も自分の中で頭で描く。
避難でごった返す中、車で上まで上がれたのだろうか?

弟も冷蔵庫で働いていて、身重の弥美さんを考えどんな経路をたどったのだろう・・・。

今日までどこをどう探しても誰も見つからない。
ずっと会社休ませてもらってリアルタイム、ツイッター、安否情報などを片っ端から探した。
親戚、友人からの励ましの電話、メールの対応。
主人も休んで家の事、ご飯の面倒を見てくれた。「一人にしたらあなた何も食べずにやるでしょ~」と。
食べる気力も無く、動く事も無くパソコンの前に居た私にせっせと食事を出してくれた。
だから母の安否を私に託した。(主人も両石なので)
主人の母13日深夜に安否確認が出来ました。無事です。


映像や空撮を見て愕然とした。
あまりの被害に「誰もいなくなっちゃった。一人ぼっちなの・・・」と気が遠くなった。
だって、地震が来たらいつも直ぐに電話で「大丈夫がぁ?!なんてもねぇが。」って来るはずなのに。子どもの前で大泣きした。

まだ不明者は多い。1万5千ほどの人口と思っていた。
避難者の発表は5千人程度。
この誤差はナンなんだろう?

町長が津波に呑まれたと報道があり、取材もいち早く入ったので皆さんも大槌を早く目にすることが出来たとおもいます。
ただ、岸壁には到底行けずバイパス沿い、マストあたり大槌病院周辺でしたね。
アップした写真は、被災者が二渡神社から安渡を撮影した写真です。
左側が大安タクシーの建物・・・後はすべてきれいさっぱり呑みこんでしまった。
壊滅です。

秋田の旅行者の不明報道がありました。
その旅行者のビデオ撮影がニュースでながれた。
店の近くを通って、恐らく市場などを見学されたのでしょうか?その映像が流れていました。「あっそこにお店が?!」と。
それが私が最後に見た“越田鮮魚店”でした。


山田の叔父(母の弟)が明日、大槌を尋ねてくれるそうです。
明日、あさってには安渡小学校、お寺なども名簿があがると思われます。
泣いてばかりはいられません。明日も検索に走ります。

生きていてくれたならまた、お店やるっていうかな?

私には見えます。
子どもの頃遊んだ公園、盆踊りをした広場、郵便局。

2011年3月14日月曜日

東日本大震災

ブログで素性を明かすなんてないことと思っていた。
でも、今は悠長なことを言ってる場合ではない。

どなたか情報ありましたらご連絡コメントください。

岩手県大槌町安渡です。
恐らく、安渡小学校かニワタリ神社あたりが避難場所ではないかと思うのですが。
ないしは妹宅の大ヶ口へ非難しているか?

■越田鮮魚店■
-------------------
個人名記載により
削除しました。
-------------------

釜石、大槌地区は電波塔が崩落の為通信回路が遮断されているとの情報。
ツイッター情報では大槌町情報は、安渡小学校800人・大槌高校に700人などあわせて2800人 2011/3/14 10:00頃の情報。

大槌町(安渡含)で人口1万5千人と聞いていたが・・・。吉里吉里、波板などの避難数が分からないのでどのくらいが不明数なのか?

主人の母は親戚筋より安否連絡があり、一緒に避難しているとのこと。親族もほとんどが一緒。少し安心。

他は、電話などの連絡が来ているのに大槌からの電話発信で連絡があったとの情報が無い。
どういうことなのか?なにがどうなっているのか?

二日間寝ることも出来ずTV、パソコン、ツイッター、2チャンネルと取れる情報は片っ端から自力最大限で情報収集。
災害ダイヤル、伝言板・・・。

ご心配を頂いた友人の方々、ご迷惑をかけてしまった会社の方々本当にご心配ご迷惑をおかけします。生きていることを信じて探し続けます。

飛んで行きたい気持ちをぐっとこらえて、私は今ここに居る。
中継を見ては、泣いてしまう。何も無くなった。
でも、目標物を見れば薄れることなく町並みが見えてくる。
だから、悲しくなるのかもしれない。
子どもの頃に遊んだ公園、盆踊りをした広場、実家、そして鮮魚店。

ここでいつも越田鮮魚店ご愛顧いただいてる皆様へ。
この度、東日本大震災により街は壊滅してしまいました。
もちろん、海岸岸壁沿いにあった鮮魚点は恐らくどの家よりも早く波に呑みこまれてしまったことでしょう。
街が復興しても皆様のお名前もご住所も全て皆無となってしまっております。
ご連絡する手立てはなにもありません。
安否は私がこのブログで皆様にお知らせすることになるかと思います。
長い間お引き立ていただいた皆様には申し訳ございませんがご理解くださいますようお願い申しあげます。

2011年3月12日土曜日

いまだ消息掴めず・・・

「こんな大変なことになっているなんて」
朝のニュースを見て愕然とした。

深夜、主人と交代でTV情報、ネット、携帯などなどさまざまに情報を集めた。
しかし、夜は空撮しても見えないせいか炎上が画面に映し出される。

そして、津波で寄せられた映像の繰り返し・・・。

朝方から友人、親戚等から次々に電話が入る。
固定電話も携帯も、PCメールに携帯メール・・・誰もが全て情報を欲しがっている。

死亡者の数が発表される、はたして無事に避難したかというより「生きているの?」と自分に問う。

ツイッターの情報から、地域エリアは携帯が不通になっているとのこと。
掲載者は区外を越えてツイートしてくれた、で津波の上がり地を少し把握できた。

それでも情報は十分ではない。
良く行くスーパーの写真が掲載されていた。
「何てこったぁ!!」スーパーの平駐車場が瓦礫で埋まっている。
それもスーパーの2階部分までギッシリ。
目の当たりにした本当の地域の惨劇・・・涙が出た。

気持ちがあっても、時間があっても、お金があってもなんにもならないのだと。
助けることすら出来ない。

無事でいることを祈るばかり。

大地震・津波

今、日本中が大変な事になっている。

恐らく我が実家も津波に呑み込まれている可能性は100%
防波堤を超える10mでは、市場に近い(海から1キロ範囲)我が実家は浸水、衝撃が強ければ倒壊は免れないだろうと…。

未だ通信の制限により誰とも安否確認は取れておらずまさしく不安な夜。

災害伝言板、災害ダイヤル、メールも携帯やパソコン、ショートメール。
全て発信出来ているにも関わらず連絡が無いのは受け取れていないからか?

今、どこでどうしているのか…。。。
避難して不自由はないか。

自宅は、物の落下はあったものの損害と思われる物は無かった。

会社は早退した。
子ども達は集団下校後、友人宅が預かっていてくれた。とても有り難がった。

自宅に戻ると、前に説明していた災害時用リュックや備蓄品を子ども達が率先して用意しだした。ヘッドライトを首に装着。

風呂に水を貯めて万事に備え出した!!たくましい!!

私は実家の親兄弟に連絡が取れず、オロオロするばかり(@_@)

私が帰宅までの間、なんと犬をケージに入れて友人宅へ連れ出していてくれた。
その行動に感動しながらも、災害時のペットの避難方法を子ども達に説明した。その事はまさかに備えていなかった事に反省。

今、そしてこれから先、眠れそうにない。
早く朝になってほしい。
もっと情報がほしい。
早く誰からか連絡がほしい。

2011年3月10日木曜日

卒業式に美魔女

卒業式シーズンですねぇ。

日中、会社を出て外に出る機会がありまして、なんだかきれいに着飾ったカップル?!
保護者の方々ですねV(^^)V

今のお母様方はおしゃれですねぇ。
そりゃそうですよね。
一斉を風靡したバブル期のアラフォー!世代ですから。

最近では【美魔女】などといって40代のお美しい女性たちの特集まで組んでいる。
確かに、とても素敵だし活躍して輝いている人たち・・・。

「なにもしてませんよ?!」なんて、ちゃんとみんなやってるし。
その言葉を鵜呑みにして何もやらなかったらサア大変!。

なんだかんだ励んでも、励んでも到達できないよぉ~。
やっと最近はビヤダル⇒丸太くらいにはなってきたけどね。
心身ともに【美魔女】になるのはいつのことやら。

2011年3月4日金曜日

静電気除去リング

冬になると‘パチッ’とくる静電気。

今年は静電気除去リングなるものを使用して、かなり軽減されている。
家族みんなにつけさせた。

多いのが、子どもに手を伸ばした瞬間に‘パチッパチッ!’とくる。
お互いに渋い顔して「今、キタネェ」と苦笑い。

それが、今年はあまり無い。
静電気女と言われたが今年は誰からも苦情は出ていないゾォ。

それに車を降りるとき、ドアを閉めるときも多少あるとしても衝撃音も少ないような気がする。
普段なら助手席からでも「音したよね?!」と言われるくらいに雷チック状態。

ゴミ袋、あれを広げたときもなかなか静電気でくっついて広がってくれないのだが、リングのついた手を入れるだけですんなり広がる。

もちろん、衣類を脱ぐときのあの‘パチパチ’もどこへやら・・・。
難点は、衣類を脱ぐときに外れることが多いんですよねぇ。
最近は「脱いだらリングを確認」が癖になってしまった。

基本的に除去なのでと最初は左腕につけていたのですが、差し出すのは利き腕の右手なので右手に付け替えたらかなりの効果を発揮!!

TVでは静電気は血がドロドロになる原因、動脈硬化の原因にも起因されると出ていた。
100均でも1個入り、2個入りで売ってるよ!!