2011年3月24日木曜日

ひとつ、ひとつの思い出が

荷物を受け取ったと連絡があった。

何も出来ないでいた自分の気持ちが少し落ち着いた。
「なにかをしてあげられた。」自己満足かも知れないが、足りないかも知れないがそれでもなんとか形になった。

ほっとすると、実家の家の中が思い出される。

みんなで囲んだコタツ、ストーブ・・・と突然よぎる写真や映像で見た被災の状況。
階段を上り二階に上がると、ここにこれがあってあそこにはあれがあって・・・たんすがここにと思うのだが、あんな物もこんな物も流れてしまったのか。
そして、瓦礫の山がまた目の前に浮かぶ。

「家が流されたぁ。なってもかっても流されたぁ。」
そう、今のいままで「家」が流された事しか考えていなかった。
瞬間的にハッとした。
「そうだ。中も外もみんな流されたんだ・・・?!」

思い出と言う全ての物が流されたのだ。
両親が培ってきた財産も、これから産まれてくる子どもの安堵するはずの家までもが全て無くなったのだと・・・。

嫁入り道具の桐の箪笥、着物も無いんだっけ・・・と主人となぜか笑うしかなかった。
それから二人であれこれ無くなった物を話し始めた。
 エアコンも取り付けたのになぁ。
 冷蔵庫は去年買ったべ。
 正月来た時、電気ポット買ったばっかりなのにィ。
 写真もなんにも無ぐなった。
 成人式の写真もな。
 剥製の鷲も流されだが。
 etc.......。

あれこれお互いに無くなった物を思い出し・・・涙がでてきた。
本当に何にも無くなったんだ。

あの言葉を思い出す。
「なってもかっても無ぐなったがぁ~、見る影もねぇ。」

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