こちらに連絡先が掲載されておりますのでどうぞご覧ください。
少しずつではありましたが、鮮魚店を復活させるべく両親は前に前に進んでおりました。
少しずつではありましたが、鮮魚店を復活させるべく両親は前に前に進んでおりました。
そして、昨日大槌町で行われた『鮭復興祈願祭』に出店をいたしました(^人^)(^V^)(^人^)(^V^)(^人^)(^V^)
【サケが縁、交流生む カナダの協力で「帰願祭」 大槌】
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/12/20111211t33004.htm
大槌町にできる仮設加工所に入所できることも決まりました。
いつになるのかはまだ未定の状態ですが、もう近い“いつ”まできているようです。
新巻鮭も順次作っているようです。
毎年のような年末の詰め合わせは難しいとは思いますが、新巻鮭の発送も出来るようになりました。
ただ、水揚げの量も船の関係などもあり、まだまだ足りない状況のようです。
ですが、年明けを待たずして越田鮮魚店復活をここに、皆様にお知らせ出来ることが何よりの朗報です。
ご飯の上、いっぱいにぶっかけはらんこ飯にして「いただきま~す。」
じいちゃん、ばあちゃん「ごっつぉさんです。」感謝!!
金沢に家を借り、これからをどうするか考えていた時期を思うと本当にうれしく思います。
秋ごろ、母から電話で「じいちゃんがな、寂しそうだがら思い切って溶接機買ってあげだんだ。すたっけーば(そうしたら)なんだが、元気出だみてぇだぁ。」何をするでもない毎日・・・しようにもする当てが見つからず、天然の陽気さを持つ父でも震災から半年目はだいぶ滅入っていたようです。
溶接機を購入後、資材材料を買い込み鮭を置く台や、鮭を吊るす棚を作り始めました。
子どもの頃から大工仕事から水周りのこと、料理なんでもこなす父は頼もしいと思ったものです(笑)
呑むと陽気なおっちゃんですがね(^○^) そうやって働く父の姿が目に浮かびました(T_T)
まもなくして鉄工関係の仕事をしている叔父がたくさんの鉄材を持ってきてくれたそうです。以前、大工関係の知人より譲り受けた工具も私たちから送っていたので作業開始です。
毎日、毎日そして弟(息子)も休日返上で加工に必要な道具を作っていたそうです。
父「は~ぁあ、やったぐなつぇ。こえー、こえー(疲れた、疲れた)たいしたこえーぜぇ。」
でも、声はにこやかな表情から出ている声です。
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