2011年4月8日金曜日

多くの協力に「ありがとう」と言いたい

昨晩も大きな余震があった。余震と言っていいのだろうか?
携帯のエリアメールが鳴る。TVでも緊急音が鳴りアナウンサーが警告を出す。

子どもたちをたたき起こした。
起きてきたところにゆさゆさと揺れ始めた。

現地でも余震は日に何度もあった。
地響きのような地震。音が聞こえる地響きの音「ゴゴゴゴオォォォ」
体育館で100人くらいの人が端から迫りながら駆けつけてくるような、と言う表現を義兄が言った。
まさにそんな感じ。
恐らく災害救援で行ってくださっている方々も怖い思いをされた事でしょう。

被災地を訪れて感じた事。

高速道路に多くのトラックがひっきりなしに次から次へと。
「災害支援」の横断幕を車の前に貼り、皆北へ向う。
こんなにたくさんの方が応援してくれているのかと手を合わせた。
「ありがとうございます。」

高速のパーキングに入る。
ガソリン給油の誘導の方、交代とはいえ寒い中夜中じゅう車を誘導する。
給油が出来ないスタンドでは、「給油終了」のプラカードを持ち深々と頭を下げる。
「そんなこちらこそ深夜にも関わらずありがとうございます。」

パーキングで休憩、食事を取る。
おそろいの制服に胸には他府県の刺繍を見る。
こんな寒いところまで、ちゃんと防寒はしてきたのだろうかと心配する。
「お体に気をつけて、よろしくお願いします。」

高速を降りて、被災地までの道のり遠野あたりから自衛隊のベースキャンプがぽつぽつ見え始めてきた。
少し現実から逃避行していた脳裏から「やはり本当のことなんだ。」と覚醒するかのように緊張感で嗚咽がした。行き交う自衛隊の車両。
どこかのTVで子どもが話していた事を思い出した。「なんか戦争の中に来たようだと。」
確かに、何両もの自衛隊車両に自衛隊員を目の当たりにして「怖い」と鼓動が上がった。

しかし、被災地に入り「怖い」という感情は消え去り、本当に頭が下がる思いをした。
人の捜索、瓦礫の撤去・・・仕事の義務とはいえ同じ人間であるのに・・・何体もの遺体を見てそして運び出す。前線での仕事を一手に行っている。
その姿を間近に見て本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。
「申し訳ありませんが、よろしくお願いします。」と。

各県警の警察の方々も、信号の無い交差点に立ち車を誘導させる。
寒い中交差点に一人、二人で。何時間ここに居るのだろう?
「寒い中、ありがとうございます。」

ボランティアの方々も日の早いうちから不自由、不便な中で誰かのためにと炊き出しをしたり、物資を運んだり。
「あなた方に受けた恩は一生忘れません。」

でも、誰もかれもが小さな小さな人間に見えた。
建物の前に立つ人間は小さく見えた事は無い。ただ瓦礫の中に居る人間はナゼだか小さく見えた。
ガリバーが居たらいいのに、魔法使いが居たらいいのに、宝くじが当たったらいいのにそんなことばかり思った。

我が車が荷重に耐えられるか、タイヤはパンクしないかと思うほど荷物満載したのに。
ほんのわずかな物資しか持てない自分が非力すぎて泣けてきた。がんばったつもりでもこれっぽっちなのかと・・・。あっという間に助けてあげられないのかって。

横浜に戻り、支援いただいた方々にお礼を述べて歩いた。
一人、一人、一軒、一軒。。。「ご支援いただきありがとうございます。」
私達にできる事、被災地のみんなのありがとうを伝える事。

まもなくひと月を迎える。TVの報道も日々少なくなってきた。
今は、ツイッター情報を探し情報を集める。帰宅してネットで探す。
それが日課になっている。そしてこれから自分に何が出来るか。何をするのか?

=番外=
妹のTV安否が日テレでアップされた。
TVに被災地からのメッセージが出たのだ。
残念ながら先週被災地に向う前は3/18以降の物しかなかった。
思い立って日テレにメール投稿した。その後に遡りで安否撮影したものが上がった。
震災5日後といえばもっとダメージを受けた妹の安否放送かとばかり思っていたが、TVに映った妹は思ったより元気だった。
そのパワーにとても胸が熱くなった。撮影最後に「みんな元気ですっ!!」何度も何度もリプレイして妹のフレーズを暗記してしまった(笑)

先週会ってきたばかりの家族。みな元気に前をしっかり見ていました。
ご心配いただいております皆様「まだ、がんばって魚屋やっから!!」って言ってました。

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